資本主義・社会主義
1.資本主義
今から400年前のヨーロッパは、王様(国王)による独裁政治である絶対王政が行われていた。王様は特定の商人の活動だけを重視する(重商※)主義を行い、結果、貧しい人たちの不満もたまっていった。
そんな中、ヨーロッパに大きな変化が訪れた。
① ( 産業※)革命…生産用機械を使って製品を生産する工場を所有した人が大量生産により、
商人と同じぐらいの金持ちになる。
② (市民※)革命…国民が自由を求めて革命を起こし、政治権力が国王から国民に移動する。
産業革命により、工場や機械を所有した人が(資本※)家(経営者、ブルジョワジー)となって大金持ちとなり、大きな影響力を持ち、市民革命まで起こし、王様による政治を終わらせた。世の中は自由な世界へと変わっていき、経済政策として(資本※)主義政策が行われた。
資本主義の主な特徴は次の3つ。
① (自由放任※)主義…国から規制されることなく、それぞれの人が自由な経済活動を行う。
② (私有財産※)制…工場・機械などの生産手段は国が管理するのではなく、個人が所有し、それらをつかって自由な事業を行う。
③ (小さな※)政府(安価な政府)…国は最小限の仕事のみを行い、多くのことは国民の自由に任せる。
この資本主義政策を理論としてまとめたのがイギリスの経済学者の(アダム・スミス※)で、著書『諸国民の富((国富論※))』の中で、「もし、国が国民を規制するのをやめ、それぞれが自由な経済活動を行えば、(神の見えざる※)手に導かれて、国民全員が幸福になれる」と主張した。ヨーロッパやアメリカの国々は実際に豊かになり、発展した。
しかし、この資本主義にも大きな欠点があり、資本主義は(自由※)競争の社会であり、要領のいい人は工場や機械を所有し資本家(経営者)として大金持ちになれるが、要領が悪く事業に失敗した人たちは、労働者として工場で雇われ、安い賃金で使われるようになった。資本主義経済ものとでは雇う資本家と雇われる(労働※)者という貧富の差を拡大させた。
この動きは1929年のアメリカの証券取引所で株価が大暴落した(世界恐慌※)によって加速した。急激な不景気は、貧しかった労働者の生活をますます貧しくした。
この資本主義の欠点を補うために、世界の国は①資本主義を完全にやめ社会主義を採用する国②資本主義を少し変更させる(修正資本※)主義を採用する国に分かれた。
2.社会主義
ソ連や中国は(社会※)主義政策を採用した。
社会主義とは平等な社会を実現させる制度であるが、次のような特徴を持っている。
① (生産手段※)の公有…工場・生産用機械などは全て国が管理し、国全体の経済活動を政府が管理する。国民は全員、国営企業で働き、給料を国が国民に平等に分配することにより、貧富の差をなくす。
② (計画※)経済…どの商品をどれだけつくるかは政府が決定することにより、売れ残りがないようにする。
③ (独裁※)政治…これらの仕事を全て政府が行い、政治家が大きな力を持つ。
社会主義を最初に主張したのはドイツの(マルクス※)で、著書『(資本論※)』の中で資本主義を批判し、1917年に世界初の社会主義国ソ連が誕生し、ソ連の支援のもと多くの社会主義国が誕生した。
社会主義は資本主義の特徴である「自由」を制限し、国民の生活の隅々まで政府が管理する制度だったため、国民の多くが不満を持ちました。その結果、ソ連と東ヨーロッパ諸国は社会主義を放棄し資本主義に移行し、まだ残っている社会主義国の中国、(ベトナム※)、(キューバ※)などは資本主義要素を取り入れて社会主義の改革に取り掛かっている。
3.社会主義国の現在
●ソ連の崩壊
1985年に(ゴルバチョフ※)は次の3つの改革によって、ソ連の建て直しをしようとした。
① (ペレストロイカ※)(改革)・・・資本主義の「自由」を認める要素を取り入れる。
② (グラスノスチ※)(情報公開)・・・それまで秘密に包まれていた、ソ連政府の情報を国民に公開し、開かれた政治を行う。
③ (新思考外交※)・・・東西冷戦を反省し、アメリカとも強調していく外交政策を展開する。
しかし、1991年にソ連を支配していた(共産※)党の古い考えの人たちは、ゴルバチョフを幽閉し、ソ連政府をのっとろうとした。
この動きに感づいた(エリツィン※)はこの反ゴルバチョフ政権を政府から追い出し、ゴルバチョフの救出にも成功した。
この結果、共産党によるソ連の政治をこのまま続けることができず、エリツィンの提案でソ連は15の共和国に分裂し、消滅したソ連が持っていた権限の多くはロシアが受け継ぎ、ロシアの大統領を(エリツィン※)が務めた。
また、ソ連が分裂してできた15カ国のうち12カ国は、連合組織として(CIS※)(独立国家共同体)を結成し、社会主義も放棄して完全に資本主義に移行した。
●中国の改革・開放政策
ゴルバチョフが行ったペレストロイカのような改革はその他の社会主義国でも行われました。主な例として(ベトナム※)が実施した(ドイモイ※)(刷新)と中国の(改革・開放※)政策があります。
中国では鄧小平の指導のもと、1979年からの(改革・開放※)政策により、資本主義の自由な要素が少しずつ取り入れられていくようになり、海岸沿いの5都市に(経済特※)区が設置された。ここに設定された5都市は特別に、外国の企業の進出が認められることになった。
1993年には(社会主義市場※)経済が導入され、中国は工場などの生産部門は国営企業のままにしながら、販売部門は民間の企業を中国人が設立することを許した。
資本主義を採用したが、中国の政治を担当している共産党は独裁政治を継続したいために、社会主義をやめず、この矛盾に対し、1989年に北京大学の学生を中心とする国民の批判が起きた。彼らの開いた集会で、中国政府の軍隊は発砲し、多くの国民が死亡し、(天安門※)事件が起きた。
1997年にはイギリスから(香港※)が、1999年にはポルトガルから(マカオ※)が中国に返還され、香港とマカオは社会主義国の中国の領土でありながら、政治は資本主義のままでよいとする(一国二※)制度を採用した。
4.修正資本主義
「資本主義は欠点はあるが、工夫を加えるだけでまだまだ使っていける」と考えたのが、(修正資本※)主義を主張したイギリスの経済学者(ケインズ※)で、『(雇用利子および貨幣※)の一般理論』を著した。
ケインズ※)は、不景気で失業者が大量に発生してしまった場合、政府は税金などを使って、失業者を助けるための政策を積極的に行っていくことを主張した。
修正資本主義政策を初めて実行したのがアメリカのルーズベルト大統領による(ニューディール※)政策で、1929年に発生した(世界恐慌※)による失業者たちを救うために、税金を使ってダムや道路などの建設という公共事業を行い、それらの工事の仕事を失業者たちに与えた。
仕事にありつけた失業者たちは給料を受け取り、彼らが買い物をすることによってさらに商品が売れ、アメリカの景気は少しずつ回復していった。このように政府が公費(税金など)を使って、国民の所得を増やす政策のことを(有効需要※)政策といい、世界中の資本主義国が積極的に財政資金を使い、修正資本主義政策を行うようになった。
しかし、1980年代ぐらいから(修正資本※)主義(ケインズ経済学)も批判されるようになってきた。国民を救うために、税金をたくさん使うので、政府の財政支出を圧迫してしまったためである。
イギリスの(サッチャー※)首相、アメリカの(レーガン※)大統領、日本の(中曽根※)首相たちは、政府が国民とために多くの仕事を行う「大きな政府」よりも、政府の仕事をある程度少なくする「小さな政府」が望ましいことを主張した。彼らの理論のことを(反ケインズ※)主義という。
日本を例に挙げると、中曽根内閣は国鉄、(電電※)公社、(専売※)公社をJR,NTT,JTに民営化し、これらの赤字だった国営企業を国から切り離すことにより国の支出を減らした。
小泉内閣も赤字の(郵便局※)や道路公団の民営化に取り組む一方、政府が特定の産業を保護するために行っていた規制を緩めるまたは廃止する(規制緩和※)で、経済の活性化を図り、(三位一体※)の改革により地方の活性化を行った。